2016/9/27経済・ビジネス
日本銀行の総裁にはどうなるの?
・9月21日の
金融政策
決定会合での決定内容は、長短
金利
差を拡大して、長期
金利
を0%に誘導するというものだった。
・日本銀行総裁は、日銀生え抜きの人物と財務省出身者が交互に就任する慣例があるが、就任するプロセスは日本銀行法で定められており、国会での同意のうえ内閣が任命するとされている。
・過去には、法王の異名をとり2期10年務めた一万田尚登氏や、日本経済を破壊した男と呼ばれ続ける三重野康氏などが総裁職を務めました。
9月21日開催の日本銀行金融政策決定会合における決定内容
日本銀行は、9月21日に開催された
金融政策
決定会合において総括的な検証を実施し、新たな
金融政策
を決定しました。内容は、現在マイナス
金利
に突入している長期
金利
を0%に誘導し、超短
金利
差を拡大するというものでした。
2013年以降の日本銀行は、デフレ脱却と物価上昇率2%を安定させることの実現を目指して量的質的金融緩和を導入しました。具体的には、国債を年間50兆円程度買い入れ、平均買い入れ年限を7年程度とするものでした。この金融緩和策は、重要な政策手段として国債買い入れを位置づけ、最長40年物国債まで買い入れて
イールドカーブ
を全体的に下方へ誘導することに重点を置いていました。さらには
リスク
性
資産
の買い入れ増額も決定しました。ETFとJ-REITです。
リスク
プレミアム
の下げ余地があり、経済効果も高いと判断したのです。
しかし、2014年4月に消費税が増税され、国内需要が弱い動きを示し、原油価格が大幅に下落したためデフレ傾向にあると判断し、日本銀行は2014年10月に追加緩和を決定しました。内容は、国債の買い入れペースについて年間50兆円相当から年間80兆円へ拡大し、全体的に
金利
低下をさらに促し、
イールドカーブ
をさらに下に押し下げるための国債買い入れ策を決定しました。また、ETFやJ-REITの買い入れ額も増額しました。
ただし、それでも国内需要は回復せず、消費者物価上昇率も低迷し続けていたため、2016年1月に日本銀行はマイナス
金利
の導入を決定しました。金融機関が日本銀行へ預ける当座預金の超過準備額に適用する
金利
の一部をマイナス化したわけですが、
金融政策
決定会合前まで
黒田総裁
がマイナス
金利
の導入を強く否定していたため、この決定は金融業界に対する奇襲攻撃のような印象を与えてしまいました。
9月21日の決定内容は、それまでの
金利
低下一辺倒の政策を修正し、マイナス
金利
政策の深堀りをしないことを印象付け、銀行が収益を確保することを事実上保障することを目的にしていると思われます。
このため、今回の
金融政策
決定については、国内需要を刺激したり、物価上昇を促す政策というよりは、金融市場の安定に主眼が置かれているといって良いと思われます。
日本銀行総裁に就任するプロセス
ちなみに、日本銀行の総裁職は、慣例によって日本銀行の生え抜きの人物と財務省の出身者が交互に就任しています。しかし、日本銀行内で勝手に総裁を選ぶことはできません。
日本銀行法では、総裁と副総裁については衆議院と参議院の同意を得て、内閣が任命すると定めています。つまり、実質的には国会で多数派を形成している政府与党が推薦した人物が、日本銀行総裁に就任することになります。
ただし、政府与党が推薦した人物が、国会で同意を得られなかった事例もあります。2008年に福井総裁の任期満了に伴う後任総裁を決めるとき、国会は衆議院が政府与党で過半数、参議院は民主党などの野党が過半数を占める「ねじれ国会」の状態となっていました。
このとき、政府与党が推薦した人物が2人続けて参議院で同意を得られず、否決されてしまい、3人目に推薦した白川方明氏がやっと参議院でも同意され、日本銀行総裁に就任したことがあります。
過去の日本銀行総裁には、どのような人物がいたのか
日本銀行総裁は、任期が5年と定められていますが、再任も可能となっています。近年の総裁は1期で退任していますが、過去には2期10年務めた人物もいました。
例えば、法王の異名をもった一万田尚登氏です。一万田氏は日銀生え抜きで、第二次世界大戦に敗北して日の浅い1946年に総裁に就任しました。当時は占領下で、景気対策面では機動的な財政出動など政策を打ち出せない大蔵省に代わり、一万田氏率いる日本銀行がインフレファイターとして活躍し、法王の異名を取りました。ちなみに一万田氏は2期10年の日銀総裁職を退任後は、1954年に鳩山内閣において大蔵大臣に就任しています。日銀総裁と大蔵大臣の両方を務めた人物は、戦後では一万田氏だけです。
一方、故人となってからも評判の悪い総裁もいます。バブル崩壊期に総裁を務めた三重野康氏です。三重野氏はバブル期に地価が高騰し、一般庶民が都心の通勤圏内に家を購入することができなくなった事態を受けて、金融引き締めに動いたのですが、「平成の鬼平」を気取ってしまい、過剰に金融引き締めを行ってしまい、日本経済を全治15年と言われる
不良債権
処理地獄に追い込んでしまったのでした。このため、現在でも三重野氏は「日本経済を破壊した男」と呼ばれ、非常に不人気です。